昭和47年09月17日 特別奉修委員



 御祈念にかからせて頂く前に、熊谷さんから今日お届けあったんですけれども。昨日夕方、鳥越製粉の前と仰ったんですが、鳥越製粉の前でお米がいっぱい散らかっておったんです。それを三粒だけこう押し頂いてから頂かせて頂いて。それが親先生もこういうところを通られたというのが、頂かれたと拾われた。先生それからちいうものは、有難うして有難うして、今朝までその有り難さが続いておりますとこう言う。
 今までも、これは、親先生がなさったことだからと言うて、してはきたけれどね。それは、その米を頂いて、拾ったものを、どう処理させて貰おうかということだけであったけれどね、そういう事は、全然問題じゃないということが分からせて頂いたという、今日は熊谷さんのお届け。もう、今朝の御理解を、そのまま頂いて。水平と垂直の、垂直のところを、ぱっと頂いておられるわけですよね。
 もうそりゃ、結果は、どげんでんよか。袂の中に入れとってからね、入れたまま忘れとったって、かまわんとですよ。問題はね親先生も、ここを通られたんだから、こうされたんだから、親先生が、斯く教えられたんだから。教祖様は、こう仰っておられるから、もうそこんにきはですね。例えば、今日の御理解で言うと、商売が、どうこうと言う事でなく、教祖様が、教えられたことだから、そうするということ。
 私は、信心の一番デリケートなところは、この辺だと思うですね。これは、理屈じゃ分からんです。そうでしょ、理屈じゃわからんでしょうが。ほんなこつ言うならば、拾うのは拾うた。拾うたんなら、これば、さぁ、どげなふうに処理させて頂こうかと、こう思うことが、ほんなこつのごたるでしょうが。ところが、そん時には、有り難さが分からなかったり。そげなことじゃない。
 ただ、親先生が、ここを通られたんだから、ただそうさせて頂くだけ。しかも、その有り難さが、昨日から今朝まで、まだ続いておるとこう言われる。私は、信心はね、この辺を、それか、それけんち言うちから、真似だけじゃでけんところにですね、やはり、けいこがいるということなんですけれども。言うならば、ふとそういうふうになれた。今まで、実行だけはしてきとるとじゃん。
 けども、今までは、それには、拾うたのものを、どう扱うか、どうするか。特に、あまっかに聞いとったら、これが勿体無いから、どうせにゃいかんというような、理屈になってくるわけです。もう、理屈じゃない。もうそれは、そのまま忘れとってもかまわん。その辺のところがね、今日のあの、垂直に繋がることだと、こう思うです。私は、この辺は、合楽ではね、味合うていかなきゃ、つまらんと思うですね。
   どうぞ。